TIGHTROPE.
京都との二重生活を始めて2週間。 もう、なのか、まだ、なのか。
はてさてな日々の所感です。 ‥‥これをやらなきゃ進めない感じなんです(^^)。
実際問題として鍵が増えた。 自分の場所が増えるってこう云う事も含まれるんだな、と実感するこの頃です。
窓の外にはいつもリク、いつも「入れてくれろ。」と云うけれど、週末しかいない私にその資格はなくて少し切ない。
凍てつく季節のキミをいつまで我慢出来るだろう。 でも安易な行動は誰も救えないから。 でも。
の、繰り返しにいつまで惑うだろう。
惑う事は沢山あって、自分の分のたった一部屋さえまだまとまらず。
ただの拠点にするはずだったここの魅力にも惹かれて、過ごしたくもあり出掛けたくもあり、感情はいつも綱渡りです。 なにせ時間が足りないやね。
近くのガケ書房だけでもまず刺激的。 その上、親切にしてくれる「正尚堂」さんもまた楽し。
行ってみたいお店や場所は徒歩圏内に数知れず。 ぼちぼち、とも早く知りたい、とも。
このトランクをぶら下げて入ってから(まじで終電でこれ持って来た)まだ半月か。
始めて電気をつけて、さあ、こうしてお前のものになりに来たよ、銀月。何を見せてくれるの?と独りごちてまだ半月。 すでにこれまでの人生と同じくらいの不思議も見せてくれてる。
大学生のときから持ってたこのトランクもここに来る定めだったのかも。 ここでしっくりしてる気もする。
棚や箪笥のない今はすっかり収納庫。 ここでも間に合わせるべきか、反物机の様にふさわしいモノが現れるのを待つべきか、迷う所。
ひょっこりと椅子も現れたんだしね。
「僕らは物が行きたい場所に行く手伝いをしてるだけ」と云うのは「正尚堂」さんの言葉。
ふつーの人の私もここへ来たい物たちの手伝いをしてるだけかもしれません。
銀の月の名の下に。
少しずつ集まってくればいいのかも。 そう、もうここにいるのは確定事項。
伴っての事草をひとつずつ片付けて行けばいいだけなのかも。
お気に入りの何必館ではエリオット・アーウィットが終ってロベール・ドアノーが始まるらしい。
エリオットの「First of a Million Kisses」の写真を見れば、必ず思い出すこの写真のドアノーが次、とはこれまた憎い配列。
また見に行こう。
当初「絶対無理だろうな。」と思っていたコインシャワーにもすっかり慣れて、なかなか躊躇ってた共同の炊事場も早々の来客のお陰でふっきれて。
全てに後押しされて、ママチャリでささっとお出かけな日々。
春にはこの枝に桜が咲くよ。
自分の部屋に転がって逆さまに見た窓景色。
これが正位置。 ただ夕焼け雲が動くのを眺めてたりもします。
日が暮れるまでずっと。 忙しげですがこんなに静かでもあるのです、銀月アパートメントの日々。
最近は会う人皆に「今日は何処から来たの?」「今日はどっちへ帰るの?」と聞かれますが、自分でもよく知らない。 何処へ行くのか知らないけれど、ここが齎す流れ、少しは見えて来た気がします。
その流れに乗り切るまでのTIGHTROPE、うまくやりおおせん事を願って。